母1、母2

2年前、

母1 - 無味無臭

母2 - 無味無臭

という記事を書いた。

私が母親の人生を“母親視点”でただ淡々と書き記したものだ。私が幼少から聞いていた母の言葉を繋ぎ合わせたものなので、記憶が曖昧で詳しく書けていない場面もある。
読者はほぼツイッターのフォロワーや友人等だったが、意外と感想を貰えて嬉しかった記憶がある。しかし拙い文章で申し訳ない。

この記事では初めて「私」が語っている。
私は、母親が嫌いである。それを自覚したのは15歳の頃だった。私は15年間も母親を慕っていたのだ。
私と母の関係は現在進行形で、母と母の母(祖母)と似たような関係である。

私は現在実家を家出し上京している。とにかく家から離れたくて県外に進学した母と同じだ。そして兄の話があり地元へ帰る事になった。それから母は色々あったが結局地元で結婚をし離婚、私と妹を連れて祖母と血の繋がらない祖父のいる実家へ入った。両親が離婚する前、母は親孝行をすると言って祖母とよく出掛けていることがあり、帰宅後祖母に対する愚痴を聞くのが私の役目だった。愚痴といえば、よく父親に対する愚痴も聞いていた。まだ保育園児だった私がお喋りだったばっかりに告げ口をしてしまい、私の所為で母と父は別れたらしい。後に母から言われた。
離婚後入った祖父母宅。母と祖母の関係は、同居する事でさらに悪化した。私は約10年間その板挟みになりながら思春期を過ごした。母と祖母は血が繋がっていながら嫁姑の様な喧嘩を永遠に繰り返し、私はどちらの言うことを聞くのかでその日その日の運命が決まっていた。何故祖母の事が嫌いなのに実家を出て行かないのかずっと疑問に思っていてある時母に聞いたことがあった。それが母の導火線に火をつけた訳だが、母1人の収入で私と妹を抱えて母子家庭は難しい、という事だった。それは分かる。私さえいなければ、せめてまだ小さい妹だけなら母と2人で生きていけるんじゃないか、離婚の事もあるし、私さえいなければ母の人生はもう少し良くなるんじゃないかと考え始めるようになった。今まで母はたくさん苦労をしてきたのに娘の私まで母に迷惑をかけてしまっている。母は可哀想、母を少しでも楽にさせてあげられるのは私しかいないと思っていた。

しかし私は中学生になり、ツイッターやネットの記事で初めて「毒親」という言葉を知った。そして自分の家族が恐らくそれに近しいものであることが分かった。暴力、新興宗教、他にも当てはまるものがあった。
いつも母の気持ちばかり聞いているので、祖母に母をどう思っているのか尋ねたことがあった。今まで母を散々振り回してきちゃったから、いくら喧嘩しても家から出ていけなんて言えない、どうせ(母)は私が居ないと生きていけないのよ、と言っていた。母と祖母の喧嘩が酷かった日、15歳目前の私は「他所に物件を見つけて私もバイトをしてお金を家に入れるから、妹と3人でここを出よう」と母に言った。その晩は母も乗り気な反応を見せたが結局次の日次の週になると、ネットにハマっていた私の生活態度がダラしないことに怒り、家出計画は無しそれどころじゃない、とあっさり消えた。ダラしなかった私も悪いが、家出計画の話はそれから何度もしたがその度に何か関係ない理由で計画破棄を繰り返していた。母は金銭的に余裕が無いことを盾にしていたが、私の生活態度に怒る割に母自身仕事をコロコロ変えたり引きこもったり、完全に祖父母宅に頼った生活をしていた。そうして段々、私の母に対する信頼が無くなっていった。母と祖母が共依存であることに気付いた。

 

長くなったがここまでが、私が母親を嫌うまでの背景だ。

 

私は今実家を離れて暮らしていて、家を出てからの2年間、1度も母親に顔を合わせていないし、連絡も事務的な物だけ返している。
しかし母の様に、何かをきっかけに会うことになり実家に戻りでもしたら、私の何かが崩れてしまうんじゃないかという恐怖がある。

母が実家を出たいのに出れない気持ちがわからなくもない。今親に頼らず生きてみてお金はかかるしフラフラ生きていると家が無くなる心配はあるし中卒だし就職も簡単ではない事を身を持って感じている。家族の毒に耐えてさえいれば衣食住を保証されている生活と、衣食住がどうなるか全て自己責任だけど解放され生きる希望のある生活を天秤にかけた時、私は後者を選んだだけだ。
私が家を出てから、母からは定期的に連絡が来る。実家で毎日顔を合わせていた時には聞いた事もないような優しい言葉が送られてくる。今の母はきっと、大切に育てていた娘に何故か突然出ていかれた哀れな母という気分だろう。怒鳴り散らしていた母の気配はどこにも無い。
私は今でも母から言われた言葉が忘れられないし母の事は嫌いだけど、でももしかしたらこんなに優しい言葉をかけてくれる母は、物理的距離を置くことで気持ちが変わって私を本当に大切に思ってくれているのかもしれない、という期待が少しだけ湧いてしまう。

私が恐れているのは、いざ母親に再会して関係が良好になりかけた時、どうせ数時間も話せば私の至らないところに目がつき母からは罵声が出る。今も続いている母と祖母のように最悪になるのが怖い。
それならばいっそこのまま会わずに、上辺だけの連絡を送り合うだけで会うことなく終わりたいとさえ思う。

しかしここで母親視点で文章を書いた理由に戻る。私が母親視点を使ったのは、母を理解したかったからだ。母がどうしてあんな言葉を放ったのか、どうしてあんな行動をしていたのか、あの記事を書いた後だと時系列に自分の気持ちと照らし合わせて少し分かった部分もある。そして今、優しい言葉のメッセージを送りたくなる気持ちも分かる。
家族と再会するのが怖いと言ったが、私は母にどんなことを言われても母を理解し受け止められるようになったら、初めて逃げずに母と対峙することが出来ると思っている。
母の人生を理解しようとする事は、家族と向き合う第1歩のつもりだ。


と綺麗事は言ってみたものの、今の所は母と対峙できる程のメンタルに到底及ばないし、母だってひとりの人間だし、過去の記憶だけで母の全てを理解するなんて無理だろうし、再会する予定はない。来世かな。いや来世でもあんな家族の元に産まれるなら生まれた瞬間殺して欲しい。
結局私の暇つぶしブログ記事、という結果で終わりそうである。また眠れない夜が来たら、私の考えが変わったら、更新する事だろう。

ではまた。